1975年は、大辻清司の創作活動を振り返るうえで最も重要な年です。大辻は東京造形大学の教授として写真教育の現場に立つ傍ら、月刊写真誌『アサヒカメラ』で通年(全12回)の連載をもちます。「大辻清司実験室」と題された写真と文からなるこの連載作品は、自らを〈被写体〉であると同時に〈実験者〉に見立て、「写真は何を写しとるのか」という問いにあらためて向きあうものでした。撮影フィルムに記録された未公開カットを明らかにするとともに、フィルムの連続コマを焼きつけたコンタクトプリントから写真家がいかにして特定の写真を選び出したのかを検証することで、連載中に繰り広げられた水面下の思考過程に迫ります。
(大日方欣一「大辻清司実験室の一年」を収録)